この本を読むまでは全く知らなかったのですが、手話とは日本語を置き換えていると思っていたのですが、手話は語順・語彙・文法が全く日本語とは異なるそうです。
例えば、著書の中に「私、失敗しないんで」というかの有名な決めゼリフを例にあげて、これを手話に訳すと、「手術」「朝飯前」「私」となるんだそうです。
その影響もあって、ろう者にとって「に」や「を」などの助詞の使い分けが難しく、「言う・言われる・申す・おっしゃる」などの丁寧語も謙譲語も尊敬語も全て一つの動作なので、その使い分けが分からないそうです。
一見、健常者と見分けのつかないろう者。
学校も出ていて大いに期待されていざ就労が始めると、その文書やメール内容を見て落胆されるんだそうです。
なぜか、それは手話が日本語でないから。
手話を資格持ってする方達を「手話通訳士」と言います。
この本を読んで気づいたのですが、手話の後に「通訳」と入っている。
通訳とは他言語を伝える時に通訳と言いますが、手話も通訳しなければいけない言語なんだと分かりました。
この本の良いところは、朝ドラ仕立てでないとこです。
ハンデを追ってる人が明るく元気に前向きに生きてる現状を書いているのではなく、辛い事、職場での悲惨な事、行政の制度が全く何の意味もなしてない、そんな彼らの悩みや苦痛が素直に書かれています。
中でも、「うちはろう者を積極的に雇っています!なんて会社は気を付けた方が良い」と警告しています。
そんな会社に限って、ろう者に対して理解がない、いや理解しようとしないんだと・・・・
これを読んで私が積極的に手話を学ぶかと言えば、そういう事ではなく、今後、もしかしたら職場でろう者の人たちと働くかもしれない、そんな時に生まれるかもしれない偏見の根を先に摘む事ができるのではないか、と思いこの本を紹介しました。