私は、6年くらい前に本屋で平積みされていたこの本を読んでHSPという気質を知りました。
HSPという言葉も本も情報も全くない時だったのですが、スピリチュアル的な要素も多いのに真剣に何度も読んだ覚えがあります。
今はHSPだらけで「鬱病」という言葉が出てきた時と似ているなと思います。
HSPが出てきて本当に助けられたし、自分は変な人じゃないんだと慰められました。
ただ、HSP情報はもういいかなと思っています。
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SNSとかで、「HSPさんはこういう人が苦手」「HSPさんが就くべき仕事」「HSPさんがやってはいけないこと」とか、HSPってこういう人で、こういう事やると良くなくて、こう生きるべし!みたいなのがすごい増えてきました。
「さん」付けもすごい気になる。
あたしたち腫れ物なの?
アドバイスしてるつもりなんだろうけど、こういうの見ると、
なんでアンタが決めんの?って思う。
HSPって、物事が決められない人達じゃなくて人の感情を読み取ったり感じ取ったりする能力が高いから、人に近づきすぎると疲れるよってだけ。
むしろ、人の感情を感じ取れるだけあってコミュ力は高い。
HSPが辛くなったり悩んだりしたときに、HSPの集まりに行ったことが数回あったんだけど、全然共感できなかった。
共感できることもあるけど、一概にHSPと言ってもHSPの他にその人の性格もあるから全てが分かりあえるわけじゃない。
あと、社交性の強いHSS型のHSPの人もいて(←私これ)、この型もちょっと特殊だから同じ人いないかな?と同じ型の人の集まりに行ったら、疲れて終わっただけだった(爆)
「私、こんなに人生頑張って来たんだよ!」「私、すごいいたいけでしょ?」感が強くて、こんなに控え目に我が強いHSPもいるのかと驚いた。
要は、HSPもいろいろいるってこと。
同じ境遇同士で傷をなめ合うより、境遇を理解してくれる「心が健康な人」と話するのが一番だと気づいた。
毒親相談の時もそうだけど↓
同じ悩みを持つ人達で集まると、同じところをぐるぐる回ることになる。
普段の生活でも、悩んでるとき友達とご飯食べながら笑ったら気が晴れるように、HSPもうまく気晴らしできることが大切なんだと思う。
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HSPを知って、独自に調べたりカウンセラーの人と話す中で、最近はHSPから少し自由になった気がする。
最初は、「この考え方はHSPなんだ」とか「HSPだからこうなんだ」と全部HSPに頼ってたけど、HSPが自分の一部として溶け込んで意識しなくなった。
HSPを意識しすぎるのも良くないんだなって思えて来た。
SNSであふれている、「本当に強い人の特徴」とか「疲れない人がやっていること」とか勝手情報が溢れてて「こうしなきゃいけないんだ」「こういう考えでいなきゃいけなんだ」って、さらにHSPが悪化しそう。
久しぶりにインスタ再開してみたけど、やっぱり疲れるツールだった。
「私を見て!」「私の考えを聞いて!」がいっぱい溢れてた。
たまに行くのは楽しいけど毎日行くと楽しみが薄れる場所。