続き
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母からの手紙で号泣したあと、なぜか「私が幸せにならないと」と思いました。
すがすがしい程に、はっきりとそう思いました。
私は、家族のことで苦悩してきたので、もっと暗い感情に陥ると思ったのに、意外に前向きなことを思ったので自分でも驚きました。
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私が書いた手紙を、母がどう解釈するだろうか、とも思ったんですが、そんなこと考えても無駄だなと思いました。
母と私は相いれない関係で、母がどう思うかどうか私が心配する必要はないのだと思います。
母の考え方を変えることはできなし、私も母に理解してほしいと思わないからです。
私は私で幸せになれば良いのだと思います。
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もし、今度家から連絡が来ることがあれば親のどちらかが亡くなった時かな、と思って葬儀の事を考えました。
母なら、母の宗派でやると思うのですが、私はその会場に行きたくありません。
母の知り合いに会うと考えるだけで恐ろしいですw
私は、葬儀に出ないのは人間として最低なのではないかと思ったのですが、どんな葬儀をするかではなく私がちゃんと親とサヨナラできるかが大切なのではないか、と思いました。
どんな場所であっても、亡くなった人のことを想い祈りお別れをすることに意味があるんではないかと思います。
母の宗派の会場に行くと、知り合いに取り囲まれ、泣きの落としを入れられるでしょう。
「悲しいでしょ?ねぇ、悲しいでしょ」と、泣け泣けとあおられるでしょう。
私がそこにいなくとも、故人と私がどうなのかが大切なのではないかと思ってます。
(あ、まだ死んでないですけねw)
私はきっと、母の宗派の人達に非常識な娘と言われるのが嫌なんだと思います。
彼らが、私のことをどんな風に言ってるのか予想がつきます。
でも、よその家の問題って面白んだろうな~とも思ってます。
多分、ワイドショーのような感じで、影で楽しそうに話してるんだと思います。
でも、そういう他人の話で盛り上がっても、本人たちはどうも思ってなくて、次の日には忘れてるんだろうなと思います。
何せ、よその家のことだから。
だから、これも考えるだけ無駄なんだと思います。
父のことも、流れに任せるしかない。
今、死んでない人のことを考えても仕方ないし、私はちゃんと父にお別れができると思います。
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不思議とこんなにサッパリした気持ちになれるなんて思わなかったです。
今まで私は、一生懸命いろんなことを理解しようとして来ました。
でも、相手のことは理解できないこともあるし、しようとするだけ無駄だと気づきました。
もちろん、相手へ配慮したり理解しようとする心は大切です。
しかし、近すぎる関係で相いれない関係であれば、理解もほどほどにしなければ自分の心がむしばまれるだけなんだと思います。
私は、自分が幸せになれるよう生きればいいのだと思います。
家族全員が同じ方法で幸せにならなくてもいいのです。
これは、私が感じた答えのようなものです。
これからも、試行錯誤しながら自分の気持ちによく耳を傾けて、自分がどうしたいのかを無視しないで聞いてあげたいと思います。
私は、自分の味方でありたいです。
おわり。