職場でいただいたバレンタインケーキを友達と一緒に食べました。
友だちは、家庭環境や育った環境が全く同じで、唯一家族について話せる人です。
私も友達も実家と交流がないのですが、その理由が家族と仲が悪いというよりも、そこから逃げないと生きていけなかった事情があります。
家族なしで生きていくということは、想像以上の孤独と不安があります。
しかし、それを迂闊に誰かに話すのは危険です。
私は基本、職場の飲み会に行かないのですが、行かない理由が「雑談ができない」からです。
どこに住んでる?1人暮らし?旦那さんは?結婚してる?子供は?実家は?ご両親は?・・・話の入り口はその人の身の回りから。
そんなこと聞かれたくないし答えたくないし私もあなたのこと知りたくない。
気楽に食べたり飲んだりする雰囲気の中でうっかり自分のことを話してしまうと相手をビックリさせたり動揺させてしまいます。
だから、気軽な雑談をする時は「普通の人」になります。
「お正月実家帰るの?」と聞かれたら、「そうですね、ちょっと帰ろうかなと思ってるんですけど、もう親族の集まりはないから早く帰ってゆっくりしようかなと思ってるんですけど」なんて嘘八百です。
これでいいんです。
誰も真剣に私のお正月の話しを聞きたいわけじゃない。
ただ季節の話をしたいだけ。
こうやって「普通に育った人」をやって行くのが上手になりました。
お友達も、「分かる!私も親の葬儀に出てないから、年齢的にそういうこと聞かれるのが恐いから子供の話題にして逃げてる」と言っていました。
でも一瞬の会話を交わすことはできても、じっくり話をする場では限界があります。
食べたくない料理に会費払って、話したくもないことを話して、自分がいかに周りと違うか突きつけられに行く。修行ですか?
もう、勤務時間終わってますか?この時間にお給料発生してないですか?
では、私はこれで失礼させていただきます。
その代わり、これから呼ばれなくなっても仲間外れにされても拗ねたりいじけたりしないこと。
食べる喋る快楽は、分かり合える人としたい。
お互い何か違ってても、分かる「ツボ」が同じ人と話したい。
飲み会に行かなくたって、自分のこと話さない奴でも社会人失格ではない。
間違ってるのは、嫌でも飲み会に行く人を「これが社会人として全う」なんだと勘違いすること。
今まで自分の気持ちを散々無視されて来たのに、自分で自分の気持ちを無視するなんて、そんな「いじめ」みたいなことはしたくない。
自分に言いたい。
好きなように選択しろ、それが答えだ。と
飲み会に行かないだけの話が壮大になった(爆)